わたしがうつ病になったきっかけ
こんにちは、羽毛です!
今回はライフハックやおすすめグッズ紹介ではなく、私の経験談と、勝手な断薬(アレルギーなどが出たときなどは除く)は絶対にダメということを伝えたくてこのエントリーを書きました。
皆さんも是非、こんなことでうつ病になってしまうんだ!という参考にしてみてくださいね。
うつ病になる理由は一つではないことが多いのです。
飽くまで私の例なので、参考程度にしていただけたらと思います。
それでは、どうぞ!
ADHD薬を2か月間やめてしまった…
私は元々ADHD薬として、ストラテラを朝晩で合わせて120mg飲んでしました。
この120mgはお薬を出せるMAX量です。
私の通っていた病院は歩いて行けるし、いつ来ても大丈夫な病院でした。
時間によっては患者さんが少なくて、すごく便利でした。
そして指定薬局も近くてとても助かっていたんですが、2回連続でストラテラのストックが切れているということがあったんです!がーん…!
普通、そういった場合は薬局側の負担で患者に郵送してくれるのですが、ストラテラは薬価が高く郵送事故があって万が一届かなかった時に大変だから、私自身が取りに行くよう言われました。
歩いて行けるとはいえ20分くらいはかかるし、先延ばし癖のある私には大きな負担でした。
そしてなんと病院が移転になってしまい、歩いていくのが25分くらい、電車を使えばいいですが、病院と指定薬局が離れてしまい、ますますそこの病院、薬局に行くのか億劫になってしまいました。
薬が切れたけれども、そういう嫌なことがあるとなんだか先送りにしてしまってました。
(そもそも先延ばし癖が酷いから通院していて、通院するのも普段からやっとなのに、また病院・薬局に行くなんて私にはハードルが高すぎる!)
ストラテラは毎日飲まないと薬の効果が切れ、また飲みなおしても効果が出るのに数週間~半年くらいかかるので、「今までなんとか仕事やれてたしいっか!」と思って行くのを諦めてしまいました。
120mg飲んでいた頃の私は自分で言うのもなんですが、かなり仕事が出来ていたと思います。
しかしそれはお薬のおかげであって、私の力ではなかった。
薬が切れると本来のポンコツな自分に戻り、細かなミスが増えたり、マルチタスクが苦手になっていたり、感情のコントロールが上手くいかず、些細な上司の言葉もキツく感じるようになりました。
まだこの時点では辛いながらも働くことはできていました。
ただ、かなり頭の中が混乱していたのは確かで、この先の出来事でなくても、なんらかのきっかけで二次障害としてうつ病を発症していたでしょう。
パンドラの箱が開いて
そんなある日、私は相談に乗る仕事をしているので、研修として「境界性パーソナリティ障害&解離性障害と性暴力について」学ぶ研修に参加しました。
私は20歳の頃から大体24歳くらいまで境界性パーソナリティ障害でした。
境界性パーソナリティ障害はかなり本人も大変だけれども周囲も巻き込むので周囲も大変に感じてしまうパーソナリティ障害なんです。
ですので、概要を聞いているうちに、なんだか過去の自分をものすごく責められているような、バカにされているような気持ちになって、涙が止まらなくなりました。
少し外で休み、頓服薬(安定剤)を飲んで復活したので、研修後のワークショップ、エンカウンターというものに参加することになりました。
それはファシリテーターが一人いて、参加者それぞれが「自己開示をしていく」というワークショップです。
輪になってみんなが、心のうちに抱えているものを自己開示をしていきました。
話しながら泣く人も出てきました。私も辛くてかなり泣いてしまいました。
また、そういう空気になると、段々と自己と他者の境界線が曖昧になり、共感しすぎてしまい、色んな人の話を聞いて自分まで辛くてなりました。
本当はファシリテーターが何かフィードバックやフォローを入れるはずですが、なにもありませんでした。それが私にとって1番きつかったかもしれません。
ワークショップが終わったあと、打ち上げをしたのですが、そこで動けないくらいの胃痛に見舞われました。
それが11月の下旬です。
その次の日から、胃痛が酷く仕事を休んでばかりでした。
内科に2か所通っても一向にその胃痛は治りませんでした。
その後10日間お休みをもらったら、初日で胃痛がピタリと止みました。
そのワークショップをやったのが普段働いている私のオフィスだったから、恐怖が結びついて体に出てしまったのでしょう。
10日経って、胃腸の調子も良くなり、好きなことをして心もリフレッシュさせて
漸く出勤することが出きたけれども、ストラテラが効いてない私はなんの仕事をしても上手くいかず、お手上げ状態でした。
遂に病院へ
元々私は4月からの入社で、3月からの新規事業の立ち上げに配属されていました。ベテランでもどうして行くか模索中の中、新人の私は右も左も会社の暗黙の了解も分からず、だれもが何をやればいいか分からないから、必要のない業務もやらされていて、業務過多にありました。
そして私の性格上、やるべきことはちゃんとやりたいし、仕事外でも夜中のファミレスで上司と仕事の話をするのもなんの苦でもありませんでした。
結構情熱をもってハイで仕事をしていたと思います。
でも、そのワークショップで体調をくずしてから、いやストラテラをやめてから、ドミノ倒しのように色んな物事が上手くいかなくなり、
更に休んでもなんともならず、前の病院には行きたくなったので転院をし、ストラテラと抗うつ剤を処方してもらいました。
それが12月の下旬です。
転院についてはこちらとこちら。
休んだり早退をしたりを繰り返し、仕事中に涙が止まらなくなり、「もう無理だな」と思って、上司に休職の相談をしました。
上司はとても理解のある人で、「この仕事(福祉の仕事をしています)は残念なことにこの世の中が続く限りなくならない仕事(困っている人が減らない)んだから、今休んで、できる時にまたやっていけばいいよ」と話してくれました。
そして診断書が必要だったので主治医に書いてもらったら、そこにはうつ病(とADHD)と書かれていました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
私の場合のうつ発症のきっかけは…
①ストラテラを勝手に断薬をした
②そこから仕事がうまくいかなくかった
③ワークショップでトラウマの蓋を開けてしまった
④体調の悪い中業務過多で倒れた
ということになります。
自己判断による薬の断薬は悪いことしかありません。
そのせいで仕事大好きで早く仕事に復帰したいのに、5ヶ月も休職する羽目になりました。
もしあの時ストラテラをやめていなかったら、感情のコントロールももっとできていたと思います。仕事の指示も理解できていたと思うし、きっとワークショップを行っていてもあそこまでひどくならなかったと思います。ワークショップを受けた日、発達障碍者に多い聴覚過敏が酷くて、色んなものが無理になっていたのかもしれません。
以上が私のうつ病になったきっかけでした。
私の場合は断薬がきっかけなので業務過多よりもこちらをみなさんに分かってもらいたいです。
皆さんも、どんなお薬でも自己判断で飲むのをやめる(アレルギーなどや強い副作用が出た時を除く)、というのは絶対にしないでください。
私からのお願いです。
お薬の管理は主治医や薬剤師さんと力を合わせてやっていきましょう。
次回は、「うつ病患者に対する周囲の対応の仕方」です。
お楽しみに!